ゲイツ氏がテレタイプ機で印刷したコードは、今日の人工知能プラットフォームを動かしているものと比べると粗雑に見えるかもしれないが、1975年4月にマイクロソフト社が設立される上で重要な役割を果たしました。ワシントン州レドモンドに本社を置く同社は、金曜日にその創立50周年を祝う予定です


ビルゲイツは、 1975年1月号の雑誌『ポピュラーエレクトロニクス・Popular Electronics magazine 』で、当時無名だったテクノロジー企業インテル製の小さなチップで動くミニコンピューター「アルテア・Altair8800」に関する記事を読んで、高校時代の友人である故ポール・アレン氏と世界初の「ソフトウェア工場・software factory」を急いで作ったときのことを回想します


当時ハーバード大学の新入生だったゲイツとアレンは、アルティアの製造元であるマイクロ・インストゥルメンテーション・アンド・テレメトリー・システムズ・Micro Instrumentation and Telemetry Systems社に電話をかけ、同社のCEOエド・ロバーツに、消費者がハードウェアを制御できるソフトウェアを開発したと約束し、マイクロソフト社の最初の契約が生まれました。
ところが、この契約には大問題がありました。それは、マイクロソフトは実はまだソフトウェアを開発していなかったのです。
マシンのプロトタイプさえ持っていなかったにもかかわらず、その技術を今後発売されるAltairコンピュータと互換性を持たせる方法を見つけ出す必要があったのです。
2か月間、ほとんど寝ずにプログラムに取り組んだ後、ゲイツ氏はAltairの最初のオペレーティングシステムの基礎となるコードを完成させました。「あのコードは、私が今まで書いたものの中で一番クールなものだ」とゲイツ氏はいいます。
このプログラミングコードは、1964年にダートマス大学で開発されたBASICコンピュータ言語です。
その後、このコードは、Word、Excel、PowerPoint などのソフトウェア スイートや、現在でもほとんどの PC に搭載されている Windows オペレーティング システムなど、パーソナル コンピューターを家庭の必需品にするビジネスの基盤となりました。
「50年というのは長い時間だ」と、個人資産が1080億ドルと推定されるゲイツ氏は言う。「夢が実現したなんて信じられない」といいます

